田村正和さんの鑑定です!
田村正和さんの突然の訃報に多くの方が驚いていることだと思います。
田村正和さんは古畑任三郎のイメージがとても強く、ニヒル役者として、とても慕われていました。命式を見ると、まさに田村正和さんをそのまま表している気がしました。
運気を見たところ、偶然にも命を落としやすいタイミングだったように感じました。
亡くなった方をネタにするのはファンの方への配慮に欠けると感じる方もいらっしゃると思いますので、気分を害してしまう可能性があるということを先にお伝えしておきたいと思います。
田村正和さんについて
田村正和さんプロフィール
- 生年月日 1943年8月1日
- 職業 日本の俳優
- 出身 東京都世田谷区生まれ、京都府京都市右京区出身
- 所属 自身の個人事務所である新和事務所
- 父:阪東妻三郎、長兄:田村高廣、次兄:田村俊磨、弟:田村亮
エピソード
- 9歳で父を亡くす
- 1960年 兄・高廣主演の映画『旗本愚連隊』の撮影現場を見学に行った際に勧められ、同映画の端役として出演
- 1961年松竹大船と専属契約。成城学園高校在学中に映画『永遠の人』で本格デビュー
- 「自らこういう役がやりたいと要望するのではなく、スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」
- ほとんどNGを出さない話は有名であるが、その理由は「同じセリフは2度言いたくない」から
- まじめ過ぎる、テレビではプライベートな部分は見せない」と分析、また兄弟で会っても仕事の話をすることはまず無い
- プライベートで、他人の前では決して食事をしない
- 休日は家で部屋にこもり音楽を聴いたり、酒を飲んで過ごすことが多い。好きな酒はビール
- 専属美容師を自宅に呼んでいる
- ロバート・デ・ニーロの出演作品を好み、作品を借りてきてもらったりしていた
- 時代小説を好んで読んでいる。とりわけ聖徳太子や織田信長が好みのようで、織田信長を演じてみたいと度々語っていた
役のイメージを崩さないようにプライベートはできるだけ明かさないと徹底していた様子が伺えますね。その要素が命式からもわかるので、見ていきたいと思います。
田村正和さんの性格
田村正和さんの日干支は辛卯です。辛は宝石、木は草花です。
辛卯の方は、受身的でおとなしく、心が穏やかで愛情に溢れた方です。自分自身の損得を考えずに人の面倒をみたりするお人好しな面もあり、あまり深く考えずにするため必要以上に尽くしたり、限度を超えて面倒を見たり、お節介が過ぎてしまうことがあります。
人間的には、魅力があり人からも慕われます。動きには、品性を兼ね備えてはいますが、庶民感覚に打ち出されたものです。
ただ、ここ一番のチャンスに力量不足が出てしまい、大きなチャンスを逃がすことがあります。
田村正和さんは、見ての通り、自ら目立とうとしたり、自分を主張するタイプではないので、受身的というのはあっていますね。自分がやりたい役より、こういう役をやらせたいと言われる役者でいたいという発言が辛卯の特徴を物語っています。
当時、田村さんは多くのトレンディー系、コメディー系のドラマで引っ張りだこだったとき、当の本人は喜劇は嫌いでむしろシリアスなラブストーリーなどが好きだったそうですが、テレビ側は視聴率重視なのをくみ取って、自分が視聴率をとれるものを引き受けていたそうです。
プライベートもテレビでは明かさず、映画を見たり読書をしたりといったインドア派です。陽占を見ると、頭もよく、人気もあり、役者にも向く感じがする命式です。ニヒルで控えめなというのは天堂星が2個の要素が出ていて、それでもしっかり存在感を残せるのは禄存星+天馳星の組み合わせが瞬間瞬間で魅力を爆発させているのかなと感じます。
龍高星が3つあるので、貫索星と玉堂星の要素も出ています。鳳閣星と龍高星の組み合わせだと歌手などアーティストに多かったりしますが、田村さんは時代小説が好きだったり、時代劇や大河ドラマに起用されていたので、玉堂星要素が強く出ている感じがします。また名前を聞けば誰もが知っている国民的俳優さんなので、貫索星の特徴といえそうです。
鳳閣星は表現力があり、自然体、のんびり、朗らか、明るいといった特徴があり、役者にとっても有利な星ですが、田村さんは鳳閣星と南の龍高星が中殺されています。
中殺されるとのんびりとは少々違う生き方となるでしょう。神経を休める暇もなく、努力家で働き者、精神的不安定さなども出てきます。集団から逸脱し、孤独を好むところがあります。
不安定になっていたとしても、表に出すこともなく孤独の中に確固とした自分が存在しています。孤独でいることで相当な強みを発揮します。
田村正和さんの運気
田村正和さんのお父様は阪東妻三郎さんで、有名な俳優さんだったそうですね。しかし、田村さんが9歳のときになくなっています。生年中殺があると親を頼れないといわれています。財産を受け取れない、離れて暮らす、恩恵を受けない、若くして死別といった形で影響が出てきますので、田村さんの場合は若くして死別という形で表れてしまいました。
生年中殺がある方は早く親元を離れたり、子供が生年中殺を持っていたら、できるだけ早くから自立心を養い、独立させると子供は大成しやすくなると言われています。
大運 | 十大主星 | ||
1951~1960年 | 戊午 | 玉堂星 | 大運天中殺 |
1961~1970年 | 丁巳 | 車騎星 | 繰り下がり 大運天中殺 |
1971~1980年 | 丙辰 | 牽牛星 |
1960年代は田村さんは大運初旬に大運天中殺があるので、20年間大運天中殺が繰り下がります。1961年以降に大運天中殺のブレイク運が起きやすいと言えます。
田村さんは1961年に松竹大舟と専属契約をし、1963年から大河ドラマにも5年連続出演するという活躍ぶりです。1966年にはフリーになります。
1970年代はテレビ時代劇でブレイクします。『眠狂四郎』『鳴門秘帖』『赤穂浪士』など、陰影の濃い哀愁ムードの風貌で「憂愁の貴公子」とさえ呼ばれるようになりました。車騎星、牽牛星は仕事や地位名誉の星なので、NHKなど国民のイメージが重要となる仕事が回ってきやすかったとも捉えることができます。
人気になりますが、1979年映画『日本の黒幕』に出演以降1993年まで映画には出演せず、テレビと舞台のみに出演することになります。1980年で一旦大運天中殺が終わるので、方向性が変わった可能性があります。
大運 | 十大主星 | |
1981~1990年 | 乙卯 | 禄存星 |
1991~2000年 | 甲寅 | 司禄星 |
2001~2010年 | 癸丑 | 鳳閣星 |
2011~2020年 | 壬子 | 調舒星 |
大運天中殺が抜けるとこれまで手に入れた地位や名誉、財産など一旦手放さなければいけない状態になるのですが、芸能活動は終わりませんでした。
大運が守護神回りで、禄存星→司禄星→鳳閣星と人気運、表現運などの後押しもあるように感じられますし、元々の才能や素質が芸能向きだったのでしょう。
ずっと時代劇系で活躍されていましたが、1980年以降はホームドラマでブレイクしました。
2009年に『そうか、もう君はいないのか』で第49回モンテカルロ・テレビ祭 最優秀男優賞を受賞をし、2018年まではあまり表に出ていなかった様子です。
2011から調舒星が回ってきているので、一人の時間が必要だった10年間だったのかもしれません。
大運 | 西方 | 中央 | 東方 | |
2021~2030年 | 辛亥 | 大半会 | 半会 | 半会 |
そして2021年4月3日にお亡くなりになったとのことです。運気としては、接運でした。接運は運気が変わるときなので、命を落としてしまう人も少なからずいるようです。
また、西方大半会、中央と東方が半会なのでものすごいエネルギーが働いていたのではないでしょうか。融合条件がそろっているとものすごく大拡大する幸運の時期に見えますが、そのエネルギーに耐えられないと、空中分解してしまう可能性もあります。
可能性があるというだけで、必ず命を落とすわけではないので、不安になる必要はありません。田村さんは77歳で年齢も高齢に近いこともあり、身体が耐えられなかったかもしれませんね。
おわりに
田村正和さんについてまとめていきました。田村正和さんのプライベートは謎に包まれていましたが、皆に慕われる素敵な俳優さんでした。ご冥福をお祈り申し上げます。